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裏を読むということ

裏を読むということ

 

チリの鉱山で、30人以上が閉じ込められた事件、

無事に全員助かるという報が飛び交った。

 

いや、めでたい話であるし、何も批判的なことはない。

ただ、良かったの一言である。

 

また、Yahoo!ニュースでも、一人助かる度に、

○人目救出、

と出てきた。

 

それほどまでにインパクトのあるニュースだったのか。

知らなかった。

 

しかし、その裏で批判論を展開する人もいる。

「今回の一件は、チリ首相の売名行為、人気取りを兼ねている。」

 

なにをばかなことを、そんなこと当たり前だ。

 

ノーベル化学賞を日本人が受賞したときだって、

菅直人首相は出てきた。

いい話があれば、それに乗っかる。

それは常套手段ではないか。

 

したがって、チリ首相の批判論の展開は、

邪推に他ならない。

 

邪推を正論という、これもまた常套手段ではあるが、

それは否定的な論理のやり取りであって、

邪推の応酬は即効性のある覚醒剤。

 

はじめは刺激的で楽しいのかもしれないけど。

いずれ、両者の身を蝕み、やがて漁夫の利を狙う第3者にやられる。

 

さて、最近の尖閣諸島の問題、

中国では、魚釣島(釣魚島?)と呼び、最近ニュースで、中国語の発音になっていることに驚いたのだが、

日本人の対応は、愚鈍と言うべきか、それとも紳士なのか。

 

とにかく、中国側の対応に比べて穏やかだ。

逆に言えば、中国側の対応は穏やかではない。

 

それが良いことかどうかは別にして、

中国側は、反日感情の上に邪推を行うため、

事実が歪曲され、ヒステリックな反応をしてしまう。

 

問題は、事実の歪曲の仕方が一意的でないために、

主張に矛盾が出てきてしまうことだ。

これおかしいぞ。と。

中国当局が言っていることと、違うではないか。と。

 

ここに、中国側が恐れることがある。

それは、反体制的なデマが生まれてしまうことである。

中国側は、事態の進行をある程度のコントロールをしてきたが、

既に爆発的なエスカレートが起こり、国民感情の“反体制的な部分”に火がついてしまった可能性がある。

 

さて、この問題は、今後どのように推移していくだろうか。

邪推せずに、“裏を読む”ことで事態を見守る方が、良いかもしれない。

邪推は身を滅ぼすと知れば、なおさらである。

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