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休日 かくおわれり

タイトルの   おわれ   を   終われ   とするか、それとも   追われ   とするかは、個人の負うところだったりする。     【邪悪なるものの存在】   邪悪、って便利な表現である。   邪であり、悪である、   または、   邪か悪   ということで、人が忌み嫌う、害のあるものを"邪悪"と表現してよかろう。     ただし、邪悪かどうかの判断基準は個人差があってしかるべきなので、   理想的には、すべての人、または大多数の人が邪悪と考えるものを、   一般的な邪悪と定義すればよいだろう。     その邪悪に対して、対処を試みるのが重要であるが、   対処し尽くし、邪悪なるものの存在から回避、逃げ仰せることは少ないと感じる。   なぜか?   それは、邪悪なるものを認知した瞬間に、既に邪悪なるものと対峙してしまっているからである。   この場合、逃げる、というか、邪悪なるものを通過する、と考える方がいいかもしれない。   すれ違う、っていうかんじで。     すなわち、邪悪なるものに対しては、必ず後手になると言って良ろしかろう。   ということは、いかに邪悪なるものの影響を少なくせしめるか、ということが課題である、と言える。     その対処には、ほとんど時間が与えられないことが通例であるので、   本能的な瞬時の対処が求められる。     まぁ、邪悪なるものの発生を抑制すべく、日々努力する、ということも重要であるが、   あらゆることを想定し尽くすことは不可能であるので、   その、一瞬の判断を重要視せねばなるまい。     その判断の結果は、邪悪なるものが通り過ぎたときに現れるものである。     邪悪なる存在と時間的に重なってしまった時は、どうしたらいいんでしょうかね。   ケースバイケースなので、常に特殊解を与えなければならないかもしれないが、   実は一般解が存在している、と感じるのである。     こういうことを考えること自体が邪悪、という意見には素直に従う。   そうでないと、邪悪が増幅してしまうからね。

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